藤倉氏の幸福の科学報道

■ 2009~2012年
 

藤倉氏は、大学在学中に自己啓発セミナーの問題を取材し大学新聞で記事にする活動を行い、2004年にフリーライターとなって以降は宗教も含めた「カルト」の問題を取材して雑誌等で記事を執筆してきました。2009年にニュースサイト「やや日刊カルト新聞」を開設し、同年に「幸福実現党」を結成して注目された幸福の科学についても取材をするようになりました。

当初は、教団の許可を得て施設の視察、記者会見の取材、広報担当職員への長時間のインタビューを行ったり、教義についてレクチャーを受けるといった取材を繰り返していました。しかし1991年に幸福の科学が講談社に対して抗議デモやFAX攻撃で業務を妨害した「フライデー事件」を理由に、藤倉氏は広報担当職員に「いまもカルトかどうかはわからないが、その可能性もあると思って取材に来ている」と告げるなど、批判的意識を持っての取材であることを表明していました。

同時に藤倉氏は、地方の教団施設などにアポなしで立ち寄って内部を見学したり信者と交流するといった取材も繰り返していました。しかし、そのことによって教団から抗議や取材拒否などが行われることはなく、なおも教団は取材に協力的でした。月刊『宝島』2010年5月号では、教団の許可を得て、幸福の科学信者でロックバンド「ザ・ブルーハーツ」元メンバーの河口純之助氏にインタビュー。同5月号では、一般メディアとして初めて幸福の科学の葬儀を紹介し、教団は取材に応じた上に写真提供も行いました。同年9月には、「記事にしない」ことを条件として教団の許可を得た上で幸福の科学学園(栃木県那須町)も視察しています。

2011年2月には、教祖・大川隆法氏と妻・きょう子との離婚騒動が勃発して、教団がきょう子氏を永久追放。大川氏がきょうこ氏の霊を呼び出したと称して、きょう子氏を非難し始めます。藤倉氏は、きょう子氏に対する人権侵害だとして、「やや日刊カルト新聞」で幸福の科学を事実上「カルト認定」する社説を掲載しました。

この頃から教団は、教団の花火大会や大川氏の講演会等の行事で藤倉氏の立ち入りを拒否するようになります。藤倉氏は、教団が施設や行事について「どなたでも参拝いただけます」「どなたでもご来場いただけます」などと掲示していることを理由に、それまでと同様に、教団本部の了解を得ない取材を継続させました。しかし取材の際は変装や偽名の使用などを一切せず、退去を求められた場合には素直に従うようにしていました。

また藤倉氏は教団への取材以外にも、過去に幸福の科学施設の建設に反対し教団から破壊活動や恫喝を受けた地域の住民にも取材し、関西校開設をめぐって住民の声を無視する不誠実な教団の態度にも触れました。幸福の科学に多額のお布施をしてしまい後悔している元信者、教団の不健全な体質を知る元教団職員などにも出会い、取材を続けました。



 

■ 2012年提訴の幸福の科学学園裁判

その中で藤倉氏が特に重視した問題が、幸福の科学学園における生徒(未成年信者)たちへの人権侵害でした。2012年、藤倉氏は幸福の科学学園那須校の元生徒たちやその保護者たちに長時間の取材を行い、『週刊新潮』(同年11月22日号)で〈特別読物 文科省も県もお手上げ! 子供に嘘を刷り込むデタラメ授業! 「坂本龍馬の前世は劉備」と教える「幸福の科学」学園の罪〉と題するルポを執筆します。記事は大まかに、歴史などの通常の授業において教員が霊言に基づいた内容を教えている点(教育指導要領からの逸脱)、幸福実現党を支持する政治教育を行っている点(教育基本法違反)、寮生活のルールを破るなどした生徒に対して「独房懲罰(部屋に鍵はかからない)」を行っている点(文科省通達に反する生徒への人権侵害)を指摘する内容でした。

幸福の科学学園はすぐに新潮社や藤倉氏などに対して計1億円の損害賠償を求めて提訴しました。しかし2014年に東京地裁で新潮社・藤倉氏側の完全勝訴の判決が出ます。藤倉氏が裁判を通じて取材源を一切明かさなかったにもかかわらず、記事の内容について事実と異なると認定された部分が一切ない判決でした。証人なしでも、取材メモや取材プロセスの説明だけで裁判所から記事の信憑性が認められるほど、正確で慎重な取材に基づいた記事だったということです。判決では〈デタラメ授業〉〈オカルト授業〉〈独房懲罰〉〈恐怖の学園〉といった評論的な表現についても全て「評論の域を逸脱するものとまでは認められない」と認められました。

学園側は控訴しましたが、2015年5月に東京高裁でも新潮社・藤倉氏の完全勝訴の判決が出ます。高裁判決は地裁判決を踏襲する一方で、藤倉氏の取材に対して教団側が取材妨害を行っていた事実も追加で認定。また、生徒への「独房懲罰(部屋に鍵はかからない)」について、地裁判決よりさらに踏み込んで「かなり厳しいもの」と断じる文言も加わりました。

学園側は最高裁に上告しましたが、2016年1月、最高裁が不受理を決定し、新潮社・藤倉氏の完全勝訴の判決が確定しました。



 

■ 出入り禁止は2012年から

2012年に学園が提訴する直前、教団の広報担当者が藤倉氏に電話で提訴を予告しています。その際、広報担当者は藤倉氏に教団施設や行事への出入り禁止も通告しました。

もともと藤倉氏は施設や行事への取材の際、変装もせず身分も偽らず本名を名乗り、退去を求められた場合は従うという姿勢を貫いてきました。もちろん、施設等で盗み、破壊、妨害なども行っていません。出入り禁止通告のきっかけとなった週刊新潮の記事の正しさは裁判で証明されています。

 

このことから、教団による出入り禁止通告が、「正しい報道」への報復と、今後「正しい報道」を行わせないためという意図によって行われたことは明らかです。

藤倉氏は以降も、従来と変わらない方法で教団の施設や行事への取材を試み続けました。当然、その場で追い返される場面が多くなりましたが、中には問題なく入れるケースもありました。

2015年に、藤倉氏は知人の漫画家でイラストレーターの村田らむ氏と一緒に、徳島県内にある聖地四国正心館と聖地川島特別支部という2つの施設を取材しました。この取材に対して幸福の科学は藤倉氏に内容証明郵便で抗議し、改めて出入り禁止を通告しました。藤倉氏が起訴された今回の事件において、「教団側が事前に立ち入り禁止を通告していた」とされる根拠になっているのが、このときの通告書です。



 

■ アポなし取材の意義
 



教団の許可を得ての施設取材には当然、教団職員が同行するなどして監視がつきます。この方法では取材や報道ができないものが、幸福の施設の中にはあります。

 

たとえば藤倉氏は、ある地方の施設にふらっと赴いて大川総裁の講演会ビデオを視聴した際、近くのテーブルの上でふと見つけた、上のようなものを写真に収めていました。幸福の科学の信者が何冊も同じ本を購入して知人などに配る「献本」という活動の実績を示した表です。信者が何冊も同じ本を買うという話は、もはや公知の事実ですが、それが間違いなく事実であることを示す物証です。

また、2015年の聖地四国正心館や聖地川島特別支部の取材では、幸福の科学における個人崇拝の象徴である「エル・カンターレ像」(大川隆法像)を撮影し、幸福の科学が代金支払いをお布施と称して宗教行為扱いにして(こうすることで課税対象外になります)、その手法で文房具や化粧品まで販売している事実も確認しています。それが以下の写真です。

 



また別の教団施設では、幸福の科学が「教員免許不問」などという謳い文句で幸福の科学学園関西校の教職員募集をしていたことも発覚しています。

 



教団の監視がついていては、教団が許可したものしか取材できません。公表されれば教団にとってありがたくはないであろうこうした事実について、確認するだけではなく写真等で記録することができたのは、藤倉氏がアポなしで地方施設などを取材しているからです。前もって許可を求めてから取材に行けば、こうしたものは隠されてしまうかもしれません。

今回、藤倉氏が起訴された原因となって初転法輪記念館についても、写真を消去させられてしまいましたが、藤倉氏によると「大川氏の最初の説法の場を保存展示しているかのようでありながら、当時は存在しなかったはずの宝具やマークがあしらわれており、歴史が美化されている様子がよくわかった」と語っています。

宗教法人は公益法人です。その実態について正しい報道をさせないために、特定のジャーナリストを出入り禁止にしたり、それを根拠に建造物侵入だとして罰したりということが、果たして許されていいのでしょうか。

当初から幸福の科学に批判的な視点を持ちつつも、藤倉氏は一貫して、教団とのコミュニケーションを試み、教団に無断での取材の際にも身分を偽ることなく、盗みもせず壊しもせず妨害もしないという姿勢を貫いてきました。現在でも藤倉氏は、教団側の言い分を聞くべきだと感じた際には、回答を拒否されることを承知で教団広報に電話をかけるというフェアな姿勢を保っています。

こうした姿勢での取材に基づいて、これまで9年間、週刊誌や月刊誌、やや日刊カルト新聞、個人ブログ、SNS、講演、大学での講義等を通じて、幸福の科学の実態や問題を社会に伝え続けてきました。これほどの長期にわたって、教団の意向に左右されない独立した報道活動を続けているジャーナリストは、他にいません。

この貴重で重要な取材活動の幅が、今回のような裁判によって狭められることがないよう、ご支援いただければ幸いです。